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同級生の早すぎる死に思うこと

今日、同級生Sが亡くなったという連絡を受けた。

いつも大きな眼鏡がずり落ちていて、浅黒くて、爆発頭で、ちょっと出っ歯で、ヒョロッと細い。
穏やかでイイやつだった。
彼が神領に住んでいて、僕が勝川に住んでいるころは、行き来も有った。
たしか、その頃、「肺に穴が開いた」「大丈夫?」なんて会話をしていたことを思い出した。
それから20年以上会ってなかったから、その後の彼を知らない。
だから、それほど大きなショックは感じていない…
と思う。

他の同級生のfacebookへの投稿で、Sが脳腫瘍を患っているのを知ったけど、ずっと付き合いが無かったのに、突然お見舞いに行くっていうのは、見舞いに来られた本人がどう感じるんだろうか、などと考えながら後回しにしていた結果、会えずじまいになってしまった。
盲腸くらいだったら、笑わせに来たよ、くらいのノリで行けるのだが、難しい病気であるほど、見舞いには行きづらい。

この歳になると、周りの人の中に居なくなる人も出てくる。
「同級生は誰も死んでない」と言っていた同い年くらいの友人が居ることを考えれば、多い方なのかもしれない。

最初は、20代だった。イギリスに留学して戻ってきた同級生Tが肺がんで入院した。
親友と一緒に見舞いに行き、元気そうな姿を見て帰った。
そうもしないうちに亡くなった。奥さんも子供も居たはずだ。
その後、別の学科の同級生Aくんが脳腫瘍で亡くなったことを同窓会の広報誌で知った。
仲良くしていた仲間うちの奥さんMちゃんは白血病だった。
美人では無かった。
背は小さくて手足も短く、まん丸顔で、笑うと細い目が無くなってしまう。
素朴で明るくて前向きで、誰からも愛される人柄だったのに、夫はだらしなかった。
それでも、その夫を支える素敵な人だった。
その彼女が小さな子供たちを残して亡くなった。
子供たちは彼女のご両親が引き取った。
私たちが育てていきます、というお手紙をいただいた。
そして…

早過ぎる。
とは言え、他人事ではない。
自分だって、もう折り返し地点を過ぎている可能性は高い。

個人的に輪廻転生は信じている。
でも、それを信じるということは、今日できなかったことを明日に回す、という先延ばしと同じ生き方をしてしまうのではないかと思い至ってから、「輪廻転生は信じているが、もし無かったら?」というスタンスに変えた。

自分は何のために生きているのか。
何を成し遂げたいのか。
もう一度見直す機会をもらった気がする。

S君。
君の顔は今でも思い出せます。
お疲れ様。
先にゆっくり休んでいてください(^^)

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